

大坂夏の陣 で激戦地となった場所
道明寺天満宮をお参りしました。


大坂夏の陣
道明寺、藤井寺合戦
1615年、幕府、足利(東軍)vs 豊臣(西軍)
前年の 大坂冬の陣 で大阪城が不能となり(堀を埋められ)
籠城することができなくなった西軍の後藤又兵衛(基次)らは
(現)土師の里付近に拠点をおき
相手側の様子をうかがいながら小松山へ・・
その後、
大和から大阪へ向かう東軍の伊達政宗、水野勝成、本多忠政、松平忠明
らに囲まれ 8時間 の激闘の末 討ち死。
南下した真田幸村、毛利勝永らは 伊達政宗側と火花を散らすも
勝算がないことを覚悟し
真田幸村側は天王寺方面へ撤退。
八尾、若江方面の敗北も耳に入る。
道明寺、藤井寺周辺では
各々の武将たちが不惜身命、
白熱したバトルが繰り広げられました。


道明寺天満宮 への案内板が見えてきました。
そろそろです (^^)
道明寺天満宮
小高い丘の上に位置します。


元々は、古墳時代に活躍した地元の豪族 土師氏 の領地でした。


西暦3年(垂任天皇32年)、
天穂日命の14世末裔 野見宿禰が
埴輪を発案し
殉死に代えたことが功績として認められ
この辺りの土地と「土師」という姓を授かった。
その後、仏教が伝来したことにより
推古天皇2年、聖徳太子の勅願で土師寺が建てられる。
なので元はお寺として存在していたのですが
明治時代の「神仏分離令」により
お寺と天満宮に分かれることに・・
古来の日本は神仏習合の時代。
海外から見たら不思議な光景のようですが
特に違和感もなく成り立っていたのですね。
神門がなかったので
そのままお参りします。

参道が一直線に伸びていますね。

結婚式場もあります。



狛犬に出迎えられて歩くと
屋台がありましたが
営業してませんでした。


桜もちらほら、まだまだこれからといった感じでしょうか・・
とても綺麗です。
撫で牛
天満宮でよく見かける「撫で牛」。
かわいいです⭐︎

さざれ石
拝殿
檜皮葺が印象的な拝殿です。
平日なのでとても静かですが
少し前の「梅まつり」開催時には
大変 賑わっていたそうですね。
「開運」と書かれた大きな絵馬があります。
立派なお姿の菅原の道真公が見えました。
やはり「馬」が特徴的。

菅原道真公
5才にして和歌を詠み
11才にして漢詩。
和魂漢才の人!
類まれな才能の持ち主だったのですね。
まさに「学問の神さま」です。
道真公は、
学者の家系であり 中流の貴族の出で、
母方の家系に大伴家持(歌人)がいます。
梅の花が好きな道真公が詠んだ和歌です。
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな」
素晴らしい一句ですね。
(^^)
社務所
御朱印はこちらでいただきました。
能楽殿
大阪府で一番古い能楽殿です。
2002年(平成14)
改修工事が行われました。
白太夫社
各地の天満宮に祀られている「白太夫」。
趣のある備前焼の「狛犬」です。
道真公が太宰府へ左遷された際にお供していた
白太夫。
道真公の従者であった
外宮 渡会春彦(または味酒安行)が祀られているお社です。

鳥居が続きます・・

和合稲荷神社
商売繁盛の神さまですね。
修羅のレプリカ
修羅(木ぞり)と呼ばれるレプリカです。
お城の石垣や古墳を作るときに
巨大な石などを運んだそうです。
優れた技量を持つ「木ぞり」。
これだけで大きな石を運べたなんて
先人の知恵に大変 驚かされます。
お見事ですね⭐︎
梅園
80種類、800本の盛大な梅の園です。
大きな庭園のような感じがしました。
小林一茶の句碑
「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」
1795年(寛政7)、
この境内に立ち寄り詠まれたものです。



夏水井
道真公が40歳の時
ひと夏ここでご滞在され
「五部の大乗経」を書写されました。
その時に用いられた井戸の水です。
こちらには 埴輪も中にありました。
↓


菜の花が綺麗ですね〜

少し前まで「梅まつり」が開催されていたそうで
時期的に惜しいような気もしましたが
所々で咲いている桜も見られ
春を感じた1日でした。
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すぐ近くにある「道明寺」
道明寺
蓮土山 道明寺
真言宗御室派の寺院で尼寺。
本格的な伽藍を有する由緒あるお寺です。
ご本尊は十一面観世音菩薩立像(国宝)
道真公のおば 覚寿尼公がお住まいになられていたで
太宰府へ立つ日、
道真公はおばに会うため訪れ
別れを惜しんだという。
その時 詠んだ句です。
「なけばこそ 別れもうけれ 鶏の音の
鳴からむ里の 暁もかな」
心情がひしひしと伝わってきますね。

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