能福寺

兵庫大仏のある能福寺をお参りしました。
805年(延暦24)最澄が唐(中国)からの帰りに、兵庫の和田岬に上陸。
自ら彫った薬師如来像を祀り、お寺を開いたのが始まりとされています。
最初の名前は、能福護国密寺と言い、
日本最初の密教霊場。


鐘楼
手水舎

平相国廟
能福寺は平清盛が剃髪したお寺としても名高く
深い縁をもつお寺です。
平清盛は太政大臣をやめてまでも福原(神戸)に拠点をおき
出家に至ります。
その後、清盛が京都で亡くなり
能福寺の住職(円実法眼)がその遺骨を持ち帰り
お寺の敷地内にお墓を造りました。
1341年(興国2、暦応4) 兵火に見舞われ
昭和に入り第二次大戦でも全焼してしまいます。
1980年(昭和55)
平清盛の800忌を目処に能福寺内に清盛の墓を再建する
動きが始まり完成したのが平相國廟です。


當勝稲荷堂
兵庫大佛
台座を含めてなんと高さが18mもあります。
空との一体感が半端なく、迫力満点でした!
1991年に再建。
もとは京都にある歴代の皇族の墓陵 月輪影殿を移築。
月輪影殿は、九条兼実の子孫である九条家の拝殿です。
藤原氏北家(ほっけ)嫡流で


本堂(月輪影殿)


ジョセフ・ヒコ 英文碑
播磨国出身(兵庫県加古郡)
太平洋を漂流中に南鳥島付近でアメリカのオークランド号に救助されます。
リンカーン大統領と初めて会見した日本人で、アメリカでは様々な分野で活躍。
初めて民間の新聞を発行したことでも知られ
「新聞の父」と言われました。
一つの時代を築いたのですね。
(^^)
そしてアメリカに帰化し、日米修好通商条約では通訳を。
通訳では華々しく活躍しました。
北風正造顕彰碑
伊藤博文と共に、兵庫や神戸の発展に貢献した人物で
能福寺の檀家。
輸出事業では、ジョセフ・ヒコを運営に携えて業績を伸ばしました。
今で言う、商人ですね。
(^^)
姫路城が戦火に脅かされた時、話し合いにより停戦をもたらし
姫路城を救った偉人としても有名。


滝 善三郎 供養碑
備前岡山藩士。
1868年(慶応4)、
神戸事件(神戸居留地付近での藩と外国兵との発砲事件)
の責任をとり永福寺にて切腹。




能福寺は、
神戸の中心地から少し離れた場所にあったので
びっくりしたのと同時に新しい発見でした!
こんな近くに大仏様がいたなんて。。
(^^)

山号・・宝積山
〜 ご 詠 歌 〜
ただ法(のり)の 宝を積みて はるばると
運ぶ歩みの 楽しかりけり



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