成 相 寺
展望台から天橋立を望めるという
抜群のロケーション地に位置する西国のお寺をお参りしました。
成相寺は、山岳宗教の修験道場として使われていたので
険しい山道の上にあります。
文武天皇の勅願寺として(704(慶雲元年)年)
真応上人、または聖徳太子が開山したと言われていますが
はっきりとして年月は不明とのことです。
手水鉢用。
互いに絡み合う2匹の龍が、とても印象的です。
その昔は、湯船の役割もしていたそう。
不思議な感じですね!
(´∀`)
ご本尊・・聖観世音菩薩
創建・・704年(慶雲元年)伝
開山・・真応上人
開基・・文武天皇(勅願)
正式名称・・成相山 成相寺
成相観音(別名称)
西国三十三所 第28番札所
~ご詠歌~
波の音 松のひびきも 成相の
風ふきわたす 天橋立
成相寺の伝説(今昔物語 丹後国)
かなり昔のこと
一人の修行僧が山を降りることができず(高い山に位置するので)
食料が絶えてしまった。
僧侶は「今日一日の食物を与えください」と祈ったところ
お堂の外で、オオカミに襲われ息絶えた鹿がいるのを目にし
心痛 極まりないがどうしようもなく
遂に鹿のもも肉をいただいてしまった。。
お堂に戻ると、ご本尊のももが切り取られ
鍋の中に木屑が散っていたのを見たそう。
これは大変なことだと気づき
ご本尊が助けてくれたと。。
木屑を拾ってももにつけると元通りになり
寺を願うこと・・成りあい・・成り合う
成相寺 と
名付けられたそうです。
ご本尊に助けられて
感謝、感謝ですね!
一言だけお願いすれば
願いが叶うと言われています。
私も真剣にお願いをしてみました(笑
(^○^)
おびんずるさま(賓頭盧尊者)
身代わりお地蔵さま
西国三十三所のご本尊が祀られています。
1744(安永3)年 再建されました。
中央には秘仏の高さ1mの聖観音、
左甚五郎作の「真向きの龍」が見られます。
パンフには「真向きの龍」のみ撮影可能とありましたが
本堂自体は撮影不可だったので
とりあえず、こちらのパンフから掲載させていただきました。
この真向きという意味は
右から見ても左から見ても、自分の方に向いているように見える事から
名付けられました。
1594(文禄3)年、明石(播磨国)に生まれる。
父は、足利家臣の伊丹左近尉正利。
江戸時代の彫刻の職人で
1606(慶長11)年、京都の大工棟梁へ弟子入り、
その後 叔父の飛騨高山藩主 河合忠左衛門宅で世話になる。
代表作に、
「日光東照宮の眠り猫」や「祇園祭の鯉山の鯉」など
残した作品は数知れない。
江戸時代 後期まで活躍。
1676(延宝4)年
建てられました。
閻魔大王
孔雀明王
3月の終わりに訪れましたが
このように雪がまだ少し残っていました。
かなり山の上にあるというのが
なんとなく伝わりましたでしょうか・・
標高569m の中腹 328mのところに
成相寺は位置します。
撞かずの鐘の伝説・・
1609(慶長13)年、
鐘を造る時に、寄付をすることができなかった家があり
その家の赤ん坊が、溶けた銅の中に運悪く落ちてしまった。
出来上がった鐘の音が、その赤ん坊の鳴き声に重なり
悲しい音色に聞こえると。
その一連の出来事が関係して
後々、鐘を撞くのやめてしまったと言い伝えられています。
1998(平成10)年、
鎌倉時代の建築様式を再現。
弁天池には 底なし池と言われる伝説 が残っています。
昔、大蛇(龍)が寺の小僧を次々と呑み込んでしまい
困り果てた和尚さまが
火薬を詰めた藁人形を作り置いていたところ
大蛇がその藁人形を呑み込み大変なことに。。
最後は、大蛇は海中に沈んでいったと。
藁人形を、小僧を間違えて呑み込んでしまったようですね。
パノラマ展望台へ。。
所々に雪が残っています。
その昔は、
この辺りに本堂があったようですね。
そして
五重塔のあった場所です。
天橋立が一望できます。
日本三景(松島、天橋立、宮島)の一つ 天橋立です。
全長 3.6km、
南北に長く続いています。
近くには、
傘松公園や天橋立ビューランドなど
観光名所も盛りだくさん。
そして。。
「かわら投げ」がありました。
見晴らしも良く
楽しめそうですね!
(о´∀`о)v
カフェで一息できそうですが
この日は閉まってました。。
見どころ たくさん。
古くから参拝者の絶えない
趣のあるお寺でした。
〒629-2241