南北朝時代
楠木正成の長男 正行氏が率いる部隊が
4倍以上の幕府軍を 藤井寺周辺で討ち破ったという
藤井寺合戦。
境内には
葛井寺合戦ゆかりの
旗掛けの松 と呼ばれる立派な松の木がありました。
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旗掛けの松
正平2年(1347)、
楠木正行、正時、正儀の三人が
幕府軍の細川顕氏勢に大勝したという証に
父 楠木正成が
境内の松の木にこの旗を立て掛け奉納したと言われています。
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藤井寺合戦
1337年、建武の新政崩壊後
足利尊氏が京都で北朝を
後醍醐天皇が吉野(奈良)で南朝を
お互い体制を整え構築します。
1347年、幕府は足利氏を南朝方面へ突入させる政策をとり
早々と藤井寺に到着した軍は
気がゆるんだのか しばしの休息をとりました。
そこへ菊水の紋(楠木家)をたなびかせ
700騎ほどの軍が近づき戦が開始。
結局 足利軍は京へ敗走し楠木勢の勝利となります。
この楠木正行という武将は、
不可思議の事なりと畏怖され カリスマ性を備えた人物。
とても恐れられていたのですね。
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紫雲山 葛井寺 (ふじいでら観音)
西国三十三所、第五番札所 真言宗御室派
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奈良時代、藤井連(ふじいのむらじ)氏の敷地内に建立され
725年、聖武天皇の勅願によって
行基が開眼法要を行う。
千手千眼観世音菩薩像(国宝)
日本で3体しか現存しない
最古で大変貴重な仏像があります。
胸の前で2本の手を合掌され 背後には40本の手が・・
天上界から地獄界まで 25の世界を40回救う
とても慈悲深い仏さまです。
普段はお参りすることができませんが
毎月18日にご開帳されるので
機会を見つけて またお参りしたいと思いました。
大空を背に輝く偉大な石灯籠
紫雲石灯籠
花山法皇が参拝した時
本堂の眉間から光が射し
灯籠から「紫雲がたなびいた」と言い伝えられています。
ちょっぴり幻想的ですね⭐︎
そしてこの石灯籠はなんとレプリカだそうで
実際(鎌倉期)のものは
本堂裏の庭園に大事に保管されているそうです。
手水舎
釣鐘堂
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専心龍乗観世音菩薩
一心に一つのことを願えば叶うと言われている
龍の上に乗った観音さまです。
大師堂
修行大師像
阿弥陀堂
護摩堂
西国三十三所 お砂踏み
西国三十三所のご本尊が並びます。
これまでにも色々なお寺をお参りしましたが
これほど大きな石碑がある
「西国三十三所」は初めて見たような気がします。
とても印象に残る石碑でした。
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藤井寺という地名は
このお寺に由来します。
あかん河内の葛井寺
平安時代、飛鳥に住んでいた藤井安基は
暴君が激しく厄介者として扱われていました。
そんな安基を見て葛井寺の千手観音さまが
安基を金縛りにかけます。
身動きが取れなくなった安基は、地獄の道へ・・
そこで初めて自分の行いを反省。
するとまた千手観音さまが出現し
「今後は人のために尽くすよう」と言い残し
安基は葛井寺の境内で蘇ることができました。
あかん河内の・・という関西弁を聞くとユニークですが
とても心温まるお話でした。
「あかん」と言うのは関西地方では
「ダメな」とか「悪い」といった意味です。
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藤の棚
ここ葛井寺は
4月下旬から5月ごろにかけて
藤の花が見頃を迎えます。
色あざやかな藤の花、
すごく綺麗ですよね〜
この時期、桜もあちこちで開花されるので
時期的に「春」という感じでしょうか・・
弁天池
弁財天が祀られています。
弁天さまですね。
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三鈷の松
冒頭の「旗掛けの松」でもお伝えしましたが
この松の木、とにかく立派です!
普通の松の木からは 2葉しか見られないのですが
こちらなんと3葉見られます。
三人の息子(正行、正時、正義)にちなんだ松が出ると言われ
不思議な力を授かれる、
ご利益を受けることができそうですね。
境内には他にも松の木がいくつかあり
パワーを感じました。
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東門
四脚門(西門)重要文化財
現在南大門が改修中だったので
こちらの西門からお参りしました。
南大門は 令和の大改修中
針の金具を使用しない「木組み」や
2つ以上の材をつなぐ「仕口」といった高度なテクニックで
専門の宮大工さんによる 改修工事が行われていました。
1300年という大変の歴史あるお寺なので
まだまだ後世に残したい
たくさんの人がお参りできるよう
存続できることを願っています。
西門の横にはお地蔵さま
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遣唐使
717年、阿倍仲麻呂らと唐(中国)に渡る。
玄宗皇帝から高く評価された人物として
盛大な葬儀が行われたと
2004年に見つかった墓誌で認知された。
「井 真成 いのまなり」という名は
「井上氏」一族の出生地として
藤井寺と関連すると有力な説があり
藤井寺市のご当地キャラクターとして
活躍中です。
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近鉄の藤井寺駅から
徒歩5、6分のところにあります。
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