日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれ
真田幸村の終焉の地 となった安居神社へお参りしました。
家康ゆかりの「四天王寺」や
「一心寺」の近くにあります。
一心寺
創建時期は1185年と最も古く
骨仏のお寺として庶民に親しまれている
宗派を問わないお寺です。
御本尊は阿弥陀如来像。
家康の八男 仙千代が亡くなり
その時の葬儀で導師を務めた住職 本誉存牟上人。
この住職が家康と同じ同郷(三河)ということで縁が生まれ
寺名「一心寺」の名に八男の法名を取り入れ
「坂松山高岳院」とされました。
※家康の八男はわずか6歳という若さでこの世を去ります。
法名「高岳院殿華窓林陽大童子」
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安居神社、安居天満宮
ご祭神・・少彦名神、菅原道真公、素戔嗚命
創建・・不詳
少彦名神
日本書紀や古事記で、国造りに際し登場する神様です。
ご神徳は、医薬、まじない、智慧など。
菅原道真公
学問の神様。
太宰府に左遷される途中、
海が荒れて出航できなかったので天候が回復するまで
この地で休息されていました。
はるか昔、この辺り一体は
海に面していたと考えられます。
少し細い参道を通り・・
このまま真っ直ぐ・・
開門時間と閉門期間が決まっているようなので
ご参拝の際には、確認してから
お出かけくださいね。
境内に着きました!
神聖な雰囲気を感じる
とても静かな境内です。
本殿
狛犬がご鎮座されていて
歴史の重みを感じる本殿。
やはり空気感が違うような気がしました。
パワースポットですね。
猫の「おみくじ」がありました。
中々ユニークで、良かったです。
(^^)
さなだ松
真田幸村は、「大坂の陣」で家康側と激戦。
あと一歩というところまで家康を追い詰めますが
奮闘虚しく、この神社まで逃げのび
「さなだ松」の下で疲れた身体を休めていました。
しかし越前松平の西尾宗則に発見され絶命。
享年49歳。
無念の死でした。
日本一の兵はここで終焉となったのですね。
とても残念ですが・・
この「さなだ松」は2代目だそうです。
真田幸村公 銅像
凛々しいお姿に感動!!
神の使いである「牛の像」。
撫でるとご利益を授かれそうなので
ちょっと撫でてみました⭐︎
屋根瓦には「梅の紋」が見えます。
天神さまの象徴である「梅」のご紋ですね。
手水舎
命の源である水。
「水の神さま」である龍が、神聖な水を司り
人々に崇拝されてきたと言い伝えられています。
奥が深いですね。
よく龍の口から水が出ている手水舎を見かけますが
こんな謂れがあったとは・・
稲荷神社
五穀豊穣、商売繁盛など
お稲荷さんです。
金山彦神社
金山彦大神、金山姫大神、淡島大神。
鉱山の神様なので
金運アップにご利益がありそうです。
大変存在感のある大きな くすのき
17mもある大樹でした。
偉大です!
安居神社周辺一帯は
「大坂夏の陣」でかなり荒廃してしまったが
後の江戸時代に この辺りを復興させた
下村彦右衛門 という人物がいます。
江戸時代、
大丸天神と言われていた老舗百貨店 大丸。
「福助人形」のモデル候補としても名高く
1717年(享保2)に
伏見(京都)で創業した呉服屋「大丸」が
のちに心斎橋(大阪)に移転したのを機に
安居神社の社殿や周辺の地域を立て直したそうです。
境内の西側にある階段
下寺町通りの参道に出ます。
この階段を見ると
神社が高い位置にあるのが実感できます。
かんしずめの井
天王寺名水の清流からなる霊水で
「かんしずめ」に効能があるとされてましたが
現在は枯渇の状態でした。
安居神社は「安居天神」とも言われ
上町台地の南に位置する景勝地です。
木々に囲まれた静寂さは
独特の雰囲気を醸し出し
都会の中にいることも忘れさせてくれました。
日本一の兵と絶賛された真田幸村は
勇猛果敢な武将として
幸村ファンの人々の心に根強く残る偉大な人物ですね。
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