誓願寺
新京極通り、繁華街に面している誓願寺の西門です。
こちらからお参りしました。
(^^)
商店街の中だけあって人も多く
活気に溢れています。
扇塚
落語の先駆者である誓願寺の第五十五世住職 策伝日快上人にちなんで
建てられた扇塚です。
誓願寺は落語発祥の地としても知られ
芸の道に励む人が芸道精進を祈願するため
このお寺をお参りすることもしばしば。
とても珍しい形の石碑で
やはり扇が光ってますね。。
(^^)
鐘楼
額に太陽(日輪)の鬼瓦が
鐘楼の飾りとして付いています。
手水舎
手水舎のところに龍がいます。
龍は水を司どる神様として知られ
とても神聖な水であることを現しているのですね。
本堂
ご本尊の阿弥陀如来。
もともとは、石清水八幡宮にご安置されていたもので
明治の神仏分離令により、誓願寺に移されました。
存在感があり、とても偉大です。
安楽庵策伝上人
落語の祖である第五十五世法主
1615年〜1623年の自らの体験談を書に著したもの
醒睡笑(せいすいしょう)があり
自らの語りや考察を面白く仕上げ
諷刺、教訓、啓蒙的な要素を取り入れて巧みに書き下ろしたものです。
1603年〜1867年(江戸時代)
歌舞伎の演目として、茶屋や遊廓などで
お披露目されたのが始まりとされている。
着物を着て座布団にすわり
楽しくコミカルに一人で演じる話芸。
小道具や音響などを交えて
身振り手振りで観客を楽しませてくれます。
誓願寺は、
清少納言や和泉式部などが出家し
秀吉の側室、松の丸殿も帰依したことから
女人往生のお寺と呼ばれていました。
秀吉の側室、京極竜子。
最初は若狭の守護、武田元明の正室であったが
「本能寺の変」の後、明智光秀側だった武田氏は
近江の宝幢院で自害。
残された松の丸殿は、秀吉に気に入られ側室となる。
松の丸殿は、
名家 京極家出身で、淀殿とは従姉妹という立場。
醍醐のお花見でのバトルは有名な話。
大阪城の西の丸に屋敷を与えられたことから
松の丸殿と名がついた。
秀吉の死後 出家。
寿芳院(じゅほういん)という名に。
山号・・深草山
寺格・・総本山
〜 ご 詠 歌 〜
極楽は はるけきほど 聞きしかど
つとめて至る 所なりけり
〒604-8035